年末からずっと飲み通しで、正直本を読む暇があまりなく、気づいたら大晦日ということでこれが年内最後の読書記録となる。気づいたら70冊目になっていて、昔ほど本を読んでいるわけでもないけれど、仕事に自我を吸収される日々の中で70冊読んだというの、ちょっと自分で自分を褒めてあげたい気持ちだ。
まあ、そんなこんなあって、年内最後の1冊は尾崎翠である。今年は人間関係においては大きく揺れ動いた一年であり、この先も大切にしたい関係と出会えた年でもあった。そして、また、その関係の中から創作活動に戻ろうと決意もできて、とても素晴らしい年になったとも思っている。それと尾崎翠にどんな関係があるのかというと、『第七官界彷徨』は、もう二十年ばかり前にかつて本について語り合った友からもらったのが出会いであり、なんというかぼくの読書体験においては、原点となりうる記憶の一つでもある。
二十年かけて、またここに戻ってきたのだ。だから、それがどうというわけでもないのだけれど、人間関係に恵まれた今年にかつて友人だった男のことを思い出すのはどこが感慨深いものがある。
「──くん、尾崎翠は読んだ? ──くんは多分好きなはずだよ。俺もう読み終わったから、あげるよ。読んでみて」
今でも昨日のことのように思い出される記憶ではあるけれど、彼が今どこで何をしているのかは知らない。
あらすじ
これが大正時代の文学なのかと思うと、少し驚いてしまう。主人公である小野町子と、兄の小野一助と二助、従兄弟の三五郎との奇妙な共同生活を描いた作品であるが、いきなり「第六感を超える”第七官”に訴えかけるような詩を書きたい」という本当に訳のわからない話を持ち出してきた読者を横っつらを引っ叩いてくる。作中では登場人物たちがずっとコケの恋愛の話をしていて、そこに世界の広がりや発展性のようなものはまるで見受けられないのだけれど、その半径数メートルの閉鎖した空間の中で、イメージのようなものの奥行きのない広がりを感じる。そんな作品である。
感想:半径数メートルの世界という文学
最近の文学は半径五メートルしか書かれていないというのは、ぼくがもう少し若かった頃の日本の文学作品たちを揶揄した言葉である。作者自身の身の回りの数メートル範囲で起きるものしか取り上げられない作品も確かにあるにはあったが、ぼくはその数メートルの範囲に何か愛すべきもの、愛おしいものがあって、それらの世界のために描かれるものがあるのだとすれば、それはとても素晴らしい文学なのではないかと思う。
この『第七官界彷徨』がそうなのだ。作者自身が愛おしいと思うもの、──例えば、ボヘミアンネクタイやコケや、そういうものたちが場面の中で連鎖していく構図がしっかりととられている。こういう文学もありなんだなと思う。そして、当時、文学というものが小説という域を出なかった時代において、文学というものをしっかりと体現しているのだ。そこには前衛的な、という意味を多分に含んでいると思ってもらって構わない。
こういう作品を書きたい、愛すべきもの、愛おしいものたちに囲まれた世界を。かつてぼくがこの本を読んだときにそう思った。そして、今もそう思っている。あの時、ぼくが書くことができなかったそういうものを、ぼくはまた書きたいと思っている。そんな風に思わせてくれる作品である。