
かつてぼくが志した文学というものの地平の端に、まだなんとなくでもすがりついていられるのも、開高健が好きだという背景があって、その開高さんが尊敬したのが井伏鱒二だ。本ってやっぱり繋がっていて、そういう鎖みたいなものをもっと形にできたらと思うのだけれど、なかなか難しいことではある。
まあ、それはともかくとして釣り好きだった開高健と井伏鱒二をつなげるのもやはり釣りである。だから、ぼくももれなく釣り好きになったし、昔ほどではないが、今でもたまに釣竿を片手に川っ原をうろついたりもしていた。ぼくにとって井伏鱒二は釣り好きおじさんくらいのイメージしか持っていなかった。
だからなんだと思う、学生の頃に青空文庫で『山椒魚』を読んでも何だか印象が薄く、内容をあまり覚えていなかった。それをなぜ今になって読んでみようと思ったのかというと、装丁に惹かれたというのもある。シンプルでありながら、強く印象づけるカバーデザインはやはり安西水丸氏だった。安西水丸氏というと村上春樹氏の小説という印象があったので、めずらしいなと思い、そのままレジへ持っていった。
読んでみた感想としては、何だか呆気なかった。覚えていた筋通りで、こんなもんか、と思った。なんでこの作品が名作になっているんだろうと思って、何気なく最後の部分を読み返した時に、最後の小エビのセリフが妙に引っかかった。そして、そのまま、他の短編へと読み進めていくうちに、引っかかっていたセリフがどんどん存在感を増していった。
これは名作だと思った。有名な作品ではあるけれどネタバレは避けたいので、あえて詳しくは書かないけれど、あのセリフはすごいと思った。太宰治をして天才と言わしめた井伏鱒二の凄さはその最後のセリフに集約されていると思う。
井伏鱒二が作家としてのぼくの中で存在感を増した瞬間であった。他の作品もおもしろかった。『朽助のいる谷間』が特に好きで、つい先日読んだ梶井基次郎の『檸檬』に収められている『ある崖上の感情』に影響を受けたらしい。やはり読書は繋がっているのだ。
この夏、『黒い雨』を何度か書店で手に取って、書棚に戻すということを繰り返していたので次に書店に行って手に取ったときは、真っ直ぐにレジに持っていこうと思う。こういうことがあるから読書ってやっぱりいいなと思える。
