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日々夏休みのノリで読書感想文を書いています。

048|『半自叙伝』古井由吉|人生の軌跡

2024.09.02 読了

人生と呼べるほどの時間を生きていないとか嘯きながらも、もう何十年という時間をやり過ごしてしまった。そんな気がする。先月誕生日を迎えて、当たり前に年をとっているわけだけれど、大人になったというような感覚もなく、抜け毛が増えて、筋肉量が減ったというくらいのものである。

 

だから、今になって自分のこれまでを振り返ってみても取り立てて書くべきことなんてない。意味づけすることもなければ、教訓めいたものもない。そんな風に思っていたけれど、この本を読んでいて思ったのはぼくにもきっと思い出すべきことがあったのだということだ。

 

古井由吉という作家を知ったのは、今から十数年ばかり前のことである。当時、出版社のホームページで本をチェックするのがぼくの日課であり、常に読みたい本を探しまわっていた。その時、あまりに立派な装丁の本を見つけたのが古井由吉との出会いだったかと思う。それが『仮往生伝試文』だった。

 

それから十数年の時を経て、ぼくの人生ではそれなりに転機みたいなものがあって、棲家を何度か変えてきたがその度にぼくについてきてくれた本であるが、実は持っているだけでまだ読んだことがなかった。それでつい先日古本屋を漁っていたところ、この『半自叙伝』に出会った。

 

第二次世界大戦のこと、編集者や同時代の作家たちとの繋がり、そんな世界はぼくにとってはもちろん体験できるようなものではないけれど、かといってそればかりではなく当たり前のように普通の日常を綴ったことがほとんどで、病気の話や身内のこと、そんな話で埋められている。そこにぼくも自分の人生を見たような気がした。なんだ、この人もぼくと同じように普通に生きたのだ、と。

 

しかし、作家にはそこに作品という間隙を埋めるものがある。作家が自身の作品のことをどのように思い、どのように感じていたのか、それを垣間見ることができるのは貴重である。とくに古井由吉のような偉大な作家には。

 

佐々木中氏をして「現存する日本語圏最大最高の作家」であると評された古井由吉だが、ぼくはまだ他の作品を読んだことがない。ただ、ヘミングウェイの『移動祝祭日』のように、作家の人生の軌跡に触れることで作品に大いに興味を持つことができる。彼は確かにその時代に生きていたのだ、と。

 

作品からその作家に触れる楽しさもあるだろうけれど、こうやって作者自身に触れることで作品に興味を持つことができる。古井由吉はぼくにとってそんな作家になった。ただ、佐々木中氏の言う「現存する」と言うのはこの本の出版当時の話であり、もう古井由吉は鬼籍に入ってしまっている。それだけがずっとこの作家の作品を読まないできて悔やまれたことである。