BOOKWORM

本は鎖のようにつながっている。そんな”ぼく”の読書体験とちょっとした感想、とか。

017|花に誘われて/『十八の夏』光原百合

ぼくが18歳というともう20年ほど前のことだ。

20年なんて過ぎてみればあっという間だったし、大したことがあったわけでもないけれど、考えてみればけっこうな時間である。あの頃生まれたばかりの新生児たちはみな成人しているわけだし、あの時成人したばかりの若者たちはもう立派な中年になっている。ぼくも腹回りだけは立派な中年になってしまったというわけだ。本当、嫌になってしまう。

そんな20年という記念碑的な時間の節目に、この眩しげなタイトルの本がふとぼくの前に現れたのは、何かの巡り合わせなのか──まあ、断じてそんなことはないのだろうけれど──ともかく本棚を整理していたらふと昔買った本たちの中にこの本も紛れていた。

『十八の夏』なんて、なんて率直で瑞々しいタイトルだろう。

当時、論理哲学考やら純粋理性批判なんていうゴリゴリの本を読み漁っていたぼくがこんな素敵なタイトルの本を買うなんて、きっと気が触れていたのかもしれない。なんたって、この本と一緒に出てきたのは、『堕落論』と『死に至る病』である。本当に嫌になってしまう。

ともあれ、一時の気の迷いであろうとその本を買っていたことで、ぼくの青春時代は多少なりとも救われた気はする。

そういう本を買おうとする感性は残っていたのか、と。

そんなわけで、18歳から20年経ったある風の強い休日の午後、ぼくはその本棚の奥から出てきてそのまましまわずにいたその本のページをふと開いた。

穏やかな春の景色がゆっくりと立ち上がり、どこか懐かしい感情が溢れるような出だしから、一気に物語の中に入り込んでいけたのは、難解な表現もなく、素直な情景描写や繊細な心情描写のおかげだろう。

朝顔金木犀ヘリオトロープ夾竹桃──花をモチーフにした連作の短編集であり、それはとても色や匂い、その美しさによって、決定的に印象付けられる。何より誘われるのだ。その色や匂いや美しさによって。

恋愛ミステリー小説の流行の走りだった当時の空気感をしっかり感じることができて懐かしかった。

女性だ男性だのというと今の時分はあれなこともあるけれど、作者は女性でありながら主人公はみな男であるのもめずらしい。しかし、女性作家特有のあの繊細で鋭い感情の切り取り方で、主人公たちの機微をしっかりと捉えている。

昼過ぎに読み始めて夕方になって風がおさまる頃に本を読み終えると、なんだかとても晴れなやかな気分になった。こうやって休日に気負いなく読める本は、本当に良い本であると思う。坂口安吾やらキュルケゴールなんて、さあ、読むぞ、って思うまでにものすごいカロリーを要するんだもん。

こういう本は本当に素敵だと思う。

ただ残念なことにこの本が20年に近い歳月を本棚の奥で過ごしている間に、作者の光原百合さんは亡くなっていた。こうやって何もかもが過去になっていくのはとても悲しいことである。ご冥福をお祈りします。