BOOKWORM

日々夏休みのノリで読書感想文を書いています。

018|『インスマスの影』P・H・ラヴクラフト|本当の恐怖

昔、とある小さな過疎の港町で、販売員の仕事をしていた。

販売員とは、業種にもよるとは思うけれど、なかなか厄介なお客さんが多く、前世に罪人だった人が就くような職業でもないかと思えるくらいひどい職だった。

クソみたいな要求なんて日常茶飯事だったし、いきなり怒鳴り声を上がる輩気取りも普通だった。あまりに酷いのは店からつまみ出していたけれど、それでもあまりにヤバい奴らが多すぎて、過疎の原因はこいつらではないかと真剣に考えたものだった。

それでもぼくの性格が捻じ曲がらずに?やっていけたのは、同僚たちのおかげだと思っている。若い女の子たちばかりでぼくよりも10歳は年下だったけれど、中年男相手にも分け隔てなく接してくれた。

彼女たちは皆いわゆる“オタク”で、でも、ぼくの世代たちにあった少しネガティブなイメージのあった“オタク”とは違い、あけっぴろげに好きなものは好きと言えるような人間たちで、とても好感の持てる人間たちだった。

そんな彼女たちから一緒にやろうと勧められたゲームがある。スマホゲームの『Fate/Grand Order』だ。有名なゲームなので内容は説明せずともわかる人も多いはずだ。なかなかよく出来たゲームで世界史の人物たちや文学上の人物たちがキャラクターとして活躍する。前に『海底二万里』でも紹介したがネモ船長も出てきて、読書が趣味のぼくからしたらかなり熱い。

そして、まさかクトゥルーまで出てくるとは思いもしなかった。

「店長、クトゥルーって知ってる?」
ラヴクラフトだろ? 読んだの?」
「ちがうよ、新章の配信動画みてないの? 今度のFateの新章、クトゥルーだよ!」

これはぼくがあの町で過ごした数少ない心温まる思い出である。

だから、書店で新潮社から出ていたクトゥルー神話の文庫を3冊買った時、ぼくはその時のことを思い出していた。たった数年前のことなのにとても懐かしかった。

そんな風にラヴクラフトを手に取って、ほっこりするなんてなかなかないことだと思う。中身はなかなかにヤバい代物だ。なんとなくてこれまでホラーやSFといった類は敬遠してきたのだけれど、読書が好きと公言するのであればラヴクラフトを読んでいなければ、それもそれでなかなかにヤバいと思う。

というわけで、40年近く生きてきて、ようやくラヴクラフトの『インスマスの影』を手に取ってみたわけだけれど、これは本当にヤバかった。さっきからヤバいとしか言っていないので、昔のギャルみたいになっているが、本当にヤバいのだ。

何がどうヤバいのかって、たとえば臭いだ。あのおぞましいクリーチャーたちの表現というよりも、彼らが残す痕跡の中に臭いがある。その描写があまりにも緻密であり、まるで鼻先に腐臭が漂ってくるかのようなのだ。

そして、痕跡といえば、その得体の知れない残留物だったり、あるいは音だったりと、そういった周りにあるものたちを緻密に描写し、姿をはっきりと見せないことでさらに恐怖を生むのだ。

これは余談だけれど、昔、友達の家に泊まって、酒を飲みながらホラー映画を見たことがあるが、最初のうちは得体の知れない不思議な現象がとても怖く、大の男が4、5人もいて口も聞けないくらいだったが、最後、その現象を起こすボスキャラ的なものが出てきてしまった時にはとてもがっかりしたものだ。緑色のゼリーみたいな怪物で、今まで怖がっていたのがバカらしくなってしまうほどだった。

つまり、見えないということはとても恐怖であり、ラヴクラフトはそのことをとてもよく理解している作家だと思った。秘すれば花、とは芸能の極意ではあるけれど、恐怖というのも似たようなものであると思う。とくに表題作の『インスマスの影』では、視覚以外の五感が途方もない恐怖という感情を駆り立てる。

この作家が生前評価されなかったというのは、陳腐な言葉かも知れないけれど、時代が追いついていなかったのかもしれない。彼の死後、彼の遺した神話が多くのクリエイターたち引き継がれ、大きな大系を成しているのはそういうことだろう。ホラーを毛嫌いしてきたぼくが、魅せられたということもそうなのだろう。

もしも、というのは歴史にはあってはならないことだし、文学史にとってもそうだ。しかし、ラヴクラフトが早逝しなければ、いったいどんな作品群が生まれていたことだろう。

初めて出会えたホラー作品がラヴクラフトで本当に良かったと思う。