BOOKWORM

本との出会いのこと、とか。

018|いったいぼくらはどこから来てどこへ行くのか?/『月と六ペンス』サマセット・モーム

昔働いていた職場でいつもガールズバーの話しかしない先輩がいた。

彼は当時40代でぼくより16、7歳は年上だった。性格はとても優しくて、とても面倒見のいい人であったけれど、とても残念なことに口を開けばガールズバーの話しかしなかった。たまに違う話をすることがあったとしても、キャバクラの話であり、本当にこの人はどうやって生きてきたのだろうか、当時20代そこそこの若造から心配されるような始末だった。

当時の職場は大手町の鉄鋼ビルにあった。もちろんTOKYO TORCHなんておしゃれなビルは影も形もなく、八重洲周辺は雑然としていて、とても胡散臭い空気が流れていた。ぼくの職場のあった鉄鋼ビルも今のような豪奢なビルではなく、とてもさえない黄土色をした8階建てのこぢんまりとしたビルだった。戦後すぐに建てられてそのままになっているとのことだった。

ビルの地下には休憩スペースがあって、ぼくはいつもそこにいた。死ぬほどムカつく上司(ちなみにこれまでムカつかない上司には出会ったことはない)のいるのとても嫌いな仕事であったけれど、そこの休憩室は利用する人も少なく喫煙所もあって、ぼくは昼休みの時間になると文庫本と小銭とタバコを持ってその休憩スペースにある自販機で缶コーヒーを買い、とてもゆったりとした時間を過ごした。そして、かの先輩もそこの休憩所の利用者であった。そして、ぼくたちは一緒にタバコを吸いながらガールズバーの話をした。

しかし、ある日と、先輩はふと文庫本を読んでいたぼくの手元を覗き込んで、何を読んでいるのかと聞いてきた。彼が本に興味を示すなんてことは今までありえないことだったから、世界が終末に向かっているのではないかと思えるくらいにぼくは驚いた。

驚きながら、ぼくが本の名前を教えてやると、彼はふうんと鼻を鳴らした。

「俺は本はあまり読まないけど、アーヴィングだけは読んだな。ガープの世界──映画も面白かったから読んでみなよ」

その時の先輩の照れたような笑みが今でも忘れられない。昔、北海道から出てきて、フラフラと生きてきたんだと語ってくれた先輩は、今はどこで何をしているのだろうか?

ちなみに、その時、ぼくが読んでいた本が『月と六ペンス』だった。

あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。まるで静かな水の中でずっとうずくまっていたような気がする。なんて、ちょっと詩的な表現をしてみるけれど、残念ながらぼくには文才はなく、小説家を目指した時期もあったけれど、どうやらぼくは決定的に才能に恵まれなかった。だから、天才という存在にはどうしても憧れてしまう。

天才といえば、ぼくはこれまでひとりだけ会ったことがある。彼はぼくの友人であり、絵を描き、国内ではホープとして期待されて、若手の注目株で大きな賞を獲りながらもサッと美術世界から足を洗ってしまったような男である。今はどこで何をしているのかは知らない。

まるで『月と六ペンス』のストリックランドのように破天荒な男であった。しかし、その天才ぶりは真逆であり、『月』が夢で、『六ペンス』が世俗的なものを表していると言われているが、彼はストリックランドとは違い、夢と現実を秤にかけ、かんたんに現実を選んでしまうような男だった。

しかし、それもまたストリックランドと同じ狂気であるような気がした。ストリックランドは、世俗を捨て、いわゆる「月」を選び、芸術という狂気に取り憑かれ、友人の妻(友人と思っていたかどうかすら怪しいけれど)さえも奪った上に自殺させ、タヒチに逃げて、最後には自分の描いた壮大な大作に火をつけて燃やしてしまう。

結局はその狂気なのだ。「月」と「六ペンス」はまるで二律背反のように決して相容れないもののように語られるけれど、それは裏表で対比するようなものではなく、結局のところ、どちらかに振り切ることが狂気なのだ。

ただその狂気がもたらすもの、あるいが連れていく先はどこにあるのかということだけが問題なのだ。ストックランドは疾走し続けた。そこに善悪の基準もなく、ただ芸術という狂気に身を任せたのだ。しかし、その最後でぼくはいつも思った。彼はどこに辿り着いたのだろうか、と。

友人の彼も同じだ。天才と呼ばれながらももてはやされながらも「絵なんて金にならないからね」と颯爽とその舞台から降りてしまったのも狂気であり、それが彼をどこへ向かわせたというのだろうか。

始まりはいつも同じなのだ。ストリックランドも、友人だった彼も。人生の始まりとしての等しく与えられた瞬間を潜り、そしてどこへ向かうかもわからない狂気の先へと行こうとするのだ。

しかし、いつだってぼくたちはその先を見ることができないし、天才ではないぼくにはなおさらそうなのだ。だからこそ、天才という存在に憧れ、その狂気に何度も触れてみたいと思うのだ。

久しぶりにこの作品を読んで、そんなことを途方もなく考え、天才ではないぼくには関係のないことだな、とそっと自嘲的に笑ってみた。