『世界の中心で、愛をさけぶ』を初めて手にとった時、いや、タイトル長えよ、と思ったのを覚えている。当時のぼくとしては、小説というものは『羅生門』だとか『細雪』とかそういうバシッとした名詞で一発でキメるものだと思っていたので、文章をタイトルにしたものは目新しく感じた。
それがこの小説のタイトルはどうだろう。2つの短編のタイトルを合わせてはいるけど、32文字もある。Xで読了ポストを書こうとしたら、タイトルだけで制限文字数の4分の1近くが持っていかれる。Xで読了ポストを書くのがこれまででいちばん難しい作品であった。
それだからというわけでもないけれど、うまく感想を書けなかったのであらためてここで書いていこうと思う。ただなかなかクセの強い作品だけにうまく書けるかは不安であるけれど。
あらすじ・本の内容
表題作の2つの作品を含む、9つの短編が収められていて、『ライ麦畑でつかまえて』以前にホールデン・コールフィールド描いた作品がいくつか収められている。また、最後に収められている『ハプワース16、1924年』は、『バナナフィッシュにうってつけの日』で描かれたグラース家の長男シーモアが幼い頃に家族に向けて書いた手紙の内容が描かれている。
感想:最後の断片
最初の短編『マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗』では、ホールデンがいきなり登場し、若い頃に『ライ麦畑』に親しんだものとしては、いきなりグッとくるものがあった。この短編はホールデンが初めて登場した作品で、『ライ麦畑』の元になった作品でもある。若い頃に感じる他者との価値観の違いからくる痛みが描かれている。
他にもホールデンが出る短編がいくつか収められており、兄のヴィンセント・コールフィールドも描かれている。いずれも痛みをもよおすような作品ばかりで、サリンジャーの生への希求のようなものが描かれている。
ただ、最後に収められている作品『ハプワース16、1924年』だけはぼくにはわからなかった。『バナナフィッシュ』で自殺したシーモア・グラースが7歳の時に家族にあてた手紙の内容を作品としているのだけれど、シーモアの考え、哲学的考察などが延々と連なっており、いったい何を言いたいのか、何を伝えようとしているのかわからなかった。サリンジャーが最後に書いた作品でもありながら、評価も著しく低い作品である。
しかし、それがサリンジャーの孤独なんだろうとも考えられる。『ライ麦畑』以降静かな生活を求めて田舎に移り住み、それでも人間に裏切り続けられたサリンジャーの孤独がそこに描かれているような気がした。『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』に始まり、『バナナフィッシュ』、『フラニーとゾーイー』と続き、『ハプワース』をもって、サリンジャーという作家は完成されたのだとそんな気がした。文学的価値とか物語としての面白さの範疇ではなく、この作品こそがサリンジャーの最後の断片であり、人生なのだと思った。