BOOKWORM

本は鎖のようにつながっている。そんな”ぼく”の読書体験とちょっとした感想、とか。

010|『燃えよ剣』司馬遼太郎|日和雨のむこう側で

<内容>
江戸時代末期、”バラガキ”と呼ばれた少年が京へと上がり、新選組を結成し、時代に翻弄されながらも剣に生きる道を貫いていく。鬼の副長・土方歳三の生涯を描いた壮大な大河小説。


 

ちょっと前に、ひさしぶりに映画館に映画を観に行った。ぼくはあまり映画館で映画を観るという習慣を持っていない人間なので、ずいぶんひさしぶりのことだった。そんなだから、ついついはしゃいでしまい、売店ハイボールやポップコーンを買い、挙句これまで買ったことのないパンフレットまで買ってしまう始末だった。自分でいうのもなんだけれど、相当楽しみにしていたらしい。その時のタイトルが『燃えよ剣』だった。

ずっと公開を待ち望んでいた。公開したら夫婦で観にいこうと約束していた。しかし、新型コロナウイルスのせいで公開は延期され、その間にぼくたちは離婚してしまい、結局その約束は叶わなかった。そういう意味では思い入れのあるタイトルでもある。

内容はどうだったかというと、1000ページ以上もある原作を映画の尺に収めるのだから、どうしたって物足りなさはあった。しかし、おもしろくなかったかというとそんなことはなく、じゅうぶんに楽しむことができたし、土方歳三を演じた岡田くんもとても格好良かったし、他の隊士たちの配役も良かったと思う。

ただあえていうと、日和雨のシーンがまったくなかったことが残念だった。原作でもさして重要なシーンとも言えないけれど、不思議と印象の強いシーンだ。もし、あの明るい雨を映像で表現するとしたらどのように描写しただろう。

 

日和雨のむこう側で

日和雨という言葉を知ったのは、この本でのことだった。

日差しの中に降る雨のことだ。その気象現象をぼくはお天気雨と呼んでいた。祖母からは小さい頃に狐の嫁入りとも教わっていた。この呼び方は初めてだった。

日和雨という漢字の当て方はとてもきれいだと思った。日和雨と書いて《そばえ》と読ませている。

この長編の物語の中でその雨が降る場面は3つだけれど、そのどれもが印象的だ。

1つ目は池田屋の前──。

大原女が沈んだ売り声をあげて河原町通を過ぎた後、その白い脚絆を追うようにして日和雨がはらはらと降ってきた。

「静かですな」

沖田総司がいった。

大原女の声をかき消すように降ってくる静かな雨と、日差しに晒された白い脚絆がとても印象的である。陰影を際立たせるような明るさがあるように感じられるのは、その後に来る凄惨な事件とそれによって名声を得る新選組を示唆してのことなのか。

そして、2つ目が鳥羽伏見の開戦直前──。

長州兵が通り過ぎた時、ぱらぱらと昼の雨が降った。
陽は照っている。
(妙な天気だ)
と、望楼の窓から離れようとしたとき、ふと目の下の路上で、ぱらりと蛇の目傘を開いた女を見た。

恋人のお雪の姿を戦場に追いかける場面である。まるで傘の開く音が聞こえてくるような印象的なシーンだ。しかし、池田屋の前の場面と比べると、陽が差しているはずなのにどこか暗い印象がある。お雪との交情がそうさせるのかもしれない。

そして、最後のシーンである。この場面についてあえて詳しく語ることはしないけれど、そこにはもう影はなく、石畳の上に明るい雨が降る。箱館戦争が終わり、土方歳三が戦死し、何もかもが通り過ぎた後である。その向こう側にお雪の透き通るような笑顔がある。

土方歳三の生涯といえば誰もが知るところであるし、その壮絶な生き様をただ戦いの連続として描くのであれば、ぼくはこの作品のことをあまりに好きにはなれなかっただろうと思う。しかし、こんなにも詩情に溢れた作品に『燃えよ剣』だなんて題をつけたのは何故だろうかといつも考えてしまう。男の生涯とはこんなにも静かなものなのかとそんな風に思ってしまう。