BOOKWORM

本は鎖のようにつながっている。そんな”ぼく”の読書体験とちょっとした感想、とか。

013|『オーパ!』開高健|永遠の幸わせ

<内容>
世界最大の流域面積を誇るアマゾン河に潜む巨大魚・怪魚を求め、作家・開高健が挑んだ60日間、16,000キロにもおよぶ遥かな旅路の記録。


 

釣りを覚えたのは小学生の頃だ。

当時は第三次バス釣りブームの真っ只中で、芸能人たちもバス釣りをしていたし、ぼくもお年玉の残りで釣具を買い込み、いそいそと近所の川に出かけたものだ。釣竿を片手に川縁を駆けていく時のあの逸る気持ちは今でも忘れることができない。あれは本当に楽しい時間だった。

大人になってからも釣りをした。たまたま家族で釣りに行く機会があり、昔やったきりだったから糸の結び方なんか覚えているだろうかと思っていたら、案外手は覚えているものですんなりとできた。それからというもの、休日にはよく家族で釣りに出かけた。そうして、またぼくは釣りにのめり込んでいった。

今ではもうほとんど釣りには行かなくなってしまったけれど、東北に住んでいた頃は休みの日のたびに出かけたものだ。使っていた釣具は古いものばかりで、フェンウィックのランカースティック、アブの5000C、古いヘドンのルアーたち、だ。古い道具を使うのには、子どもの頃からの憧れがあったからだ。とくにアブの5000Cというリールは、子どもの頃に絶対に手に入れるのだと決めていた。そのほかの道具たちは、大半は離婚した時に売り払ってしまったけれど、アブの5000Cだけは今でも手元に残してある。上野にまだスーパーブッシュがあった頃、そこで会社帰りに中古で買ったリールだ。シリアルナンバーは1973年製──まだガルシア社と合併する前のモデルで、ぼくはまだ生まれていない時代に作られた堅牢なリールだ。そして、開高健の愛用していたリールだった。

オーパ!』の中にもこのリールは登場する。この本を最初に読んだ時から、このリールは僕にとっての憧れであった。いつか絶対に手に入れてやるんだと思った。そして、実際に入れたときは本当に嬉しかった。

今でも現役で、時折釣りに連れ出してやる。そういった古き良き時代の道具と共に水辺に立つと、ふっと心が軽くなる。嫌なことしかない日々の中で、その時ばかりは何もかもを忘れた気になる。心のうちに残るのは、幸せな日々ばかりだった。

妻と子どもも、ぼくの影響からか釣りが好きだった。休みの日はよく高原の野池や川に釣りに出かけた。子どもには鳥獣虫魚のことを教え、妻にはルアーを投げ込むポイントを教え、誰かが釣れれば何の憂いもないかのように笑いあった──思えば、あの日々がぼくの人生の中でいちばん幸せな時期だったのかもしれない

 

永遠の幸わせ

本の冒頭では、古い中国の諺を引用している。

一時間、幸わせになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸わせになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸わせになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸わせになりたかったら釣りを覚えなさい。

最初にこの本を読んだ時、ぼくはまだ12歳だった。開高健という作家は知りもしなかったし、まして本を読むことなんてほとんどしなかったにも関わらず、この本にだけは惹かれた。思えばこの本からぼくの読書人生は始まっている。そうして、読書のみならず、引用されたその諺のとおり、永遠の幸せを願い、ぼくは釣りを覚えた。

毎日飽きもせずに繰り返し読み、いつしか表紙のカバーは取れてボロボロになった。今でもその本は手元に残してあるが、さすがにこれ以上、読むのはかわいそうだからと高校生の頃に2冊目を買った。それも同様に手ずれでボロボロになり、大人になって買った3冊目は子どもにあげた。そうして、最近になって4冊目を買った。

今でもページを開くとかつての頃を懐かしく思い出す。自転車で近所の川へと釣竿を持って急いだあの逸る気持ちと、身体中にこびりついた甘い泥の匂いを思い出すことができる。むせかえるような草いきれも、夕陽の溶けた薄暗い水面の色もありありと思い出す。すべてが幸せのうちに過ぎていった頃のことだ。

開高健もそうだったのかもしれない。彼の文学作品には懈怠や恍惚の中に鬼気迫るような、ある種の苦しみのようなものが見て取れるが、紀行文──ことに釣りの話ともなると、そういった影が微塵にも感じられない。文章の解像度が増し、言葉が踊り、彼の見てきたものをありありと目の前に浮かび上がらせてくれる。匂いも味も、手触りも、何もかもが姿を表して、どこか笑みを滲ませたように見える。

ピラーニャ(ピラニア)、ピラルク、トクナレ、ドラド──長大な大河を旅して、さまざまな魚を釣り、さまざまなものを食べ、大いに飲み、笑う。そうだ、笑うのだ。

普段の仕事で疲れ、淀み、眠い目を擦りながらも車を走らせて、まったく釣れない日だってある。そんな時は、なんでこんな辛いことをするのか、帰りたい、と思う。しかし、次の一投で釣れるかもしれない──そんな淡い期待を胸に釣り人は竿を振り続ける。そうして、やっぱりダメだ、もう帰ろう、と思った時、水面が割れて糸が走る。その瞬間──きっとぼくは笑っているはずだ。

何も釣りをやったことがある人だけじゃない。仕事で疲れた人や生活に飽きてしまった人がいれば、ぜひこの本を手に取ってみてほしい。子どもの頃、何にも倦むことなく原っぱを駆け回った時のあの感覚に、もしかしたらまた出会えるかもしれない。そんな一冊である。