BOOKWORM

本との出会いのこと、とか。

002|『花終る闇』開高健|懈怠と恍惚の中で

一度、地元の町を離れたことがあった。今からもう10年ばかり前のことである。男とは遠くに旅に出るものだという美学のもと、ぼくは手荷物ひとつで町を出ていった。まあ、実際は当時の奥さんの実家があった町に移住しただけのことで、お金がなかったからほとんどの家財を売り払って、必要最低限の荷物だけで町を離れただけのことだ。

 

まあ、そんなこんなでぼくは一時期、地元を離れたわけではあるけれど、その時、ある友人から餞別にもらったのが開高健の『花終る闇』であった。

 

友人というのは、小中高と一緒だった男で、彼もまたよく本を読み、休日にはよく酒を飲みながら夜通し本の話をしたものだった。安い酒と安いつまみでチマチマとやりながら、タバコだけは次から次に火をつけ、煙たい空気の中でぼくたちは本の感想を言い合ったり、白熱した議論を戦わせたりもした。とても懐かしい思い出だ。最近ではこういうのをエモいというらしい。

 

で、その友人だが、ぼくが地元を離れる日の前日、わざわざぼくの家まで訪ねてくれて、この本をくれた。ぼくが開高健の作品が好きで、ずっとこの本を探していたのを覚えていたらしい。当時にはもう絶版になっていたから、よく見つけたものだと思った。インターネットは普及していた頃ではあったけれど、古本なんかは今ほど簡単にネットで買えるような時代ではなかったからそれがたとえ希少本のような類でなくても、よく見つけてきたものだと思った。彼はわざわざ神保町の古書店を訪ね回って探してきてくれたのだ。

 

「百円で買えたから安くついたよ」と友人の彼は笑いながら言った。

 

彼との過ごした時期は本当に楽しいものだった。ぼくが地元の町を出ていった後、数年後に彼もまた町を出ていったらしい。彼が今どこで何をしているのかは知らない。

 

橋の下をたくさんの水が流れた。

ここ10年ばかりの時間を振り返ると、本当にたくさんのことがあった。たくさんの人たちがぼくの前に現れては消え、たくさんの時間とたくさんの夢が消えていった。

 

その中には大切なものもあったし、どうでもいいようなものもあった。それでも、その日々のことを思い出すと、とても愛おしく、懐かしく、すべてが川面に跳ねた日差しのように輝いている。流れ、過ぎ去ってしまった時間を川に例えるなら、本当に多くの水が流れてしまった。

 

それらのこと、それらの日々とそこにいた人たちを思い出すとき、川面のきらめきあるいは享楽のゆらめきで、懈怠と恍惚に満ちたあの喧騒の中でぼくたちは笑っていた。思い出というものはいつもそういうものである。

 

この本のページを繰りながら、ぼくはいつもそういった過去の光景たちを思い浮かべる。

漂えど沈まず──その一節から始まり、酒と情事、そして作者自身が体験した第二次世界大戦のことやベトナム戦争のこと、そういったたくさんの瞬間が明滅し、そして過ぎ去って、それでもなお沈むことなく漂っている。まるで日差しに温められた泥濘の中にはまっていくようである。その甘い泥の匂いは、かつての時間の中にあった瞬間たちの羅列を連れてくる。懈怠と恍惚の中で、ぼくはぼくでまるで夢を見るようかのようにそれらの過去を思い出すのだ。

 

読み終わってしまうと、そこにはもう暗い夜が降りていて、心地よい怠惰も恍惚も過ぎ去っていて、冷たい闇の中に体を冷やしながら、消えてしまった感情たちの余韻を噛み締める。

 

そんな感覚を呼び起こしてくれる作品である。

『闇』三部作の最後として、作者にとっては未完で終わってしまった作品であり、その完結を見ることができなかったのはとても残念なことではあるけれど、それだからこそそこに大切な瞬間の綺羅を見ることができるのかもしれない。